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2010.01/18(Mon)

100117 『地球へ…』竹宮恵子 

新年入ってからあんまり更新してなくてすいません。
どうにもあんまりパソコン開かなかったり、開いたら開いたで絵描いてたりしてブログのことを忘れがちです。
なんのためのブログなのやらと思いつつ、思い出した頃にちょろちょろ書くので畳むほどでもなし。

最近読んだマンガ、本。

『地球へ…』竹宮恵子
言わずと知れた名作、なんですかね。
何年か前にアニメ化されて、見てはいなかったけど名前は知ってたので読んでみました。
遠未来のSF超能力ものっていうとドラ的に馴染みの深い作品としては『超人ロック』があります。
ロックの場合はエスパーVSエスパーのバトルとかエスパー対普通の人間の対立の構図なんかが割りと多く描かれるテーマだと思いますが、『地球へ…』では、社会から敵視される超能力者の集団と普通の人間の社会システムとの対立が描かれます。
普通の人間との対立、ではなく普通の人間たちが暮らす社会システムとの対立、ってところがこのマンガの大きなポイント。
まぁ普通の人間の社会システムと言っても、『地球へ…』の中での社会システムは遥か未来の作者の想像によって作られたシステムで、今の我々が住む世界とは少し違うのですが。

西暦3000年代を超えて、劇中ではSD暦という新しい暦に移行していますが、SD時代では新生児は体外受精と人工子宮によって生み出され、子供と大人の社会は分けられ、子供たちは14歳になると脳内をコンピューターにスキャンされ、その能力や適正を調べられて適した社会階級や職業に自動的に割り振られます。
さらにその際に、子供時代の記憶の大部分は忘れさせられ、地球への愛情と社会への忠誠心を植えつけられるのです。
このようにして強制的に「清く真っ当な人間」が作られるのですが、脳に大きな負荷を与える成人検査の影響で超能力に目覚めてしまう者が極稀に存在します。
超能力者たちは新人類ミュウと呼ばれますが、政府はミュウの存在を危険視し見つけ次第抹殺してしまうため、運良く生き延びることのできたミュウたちは寄り添って隠れ住んでいます。
ミュウの大半は「成人検査」によって超能力に目覚めたにも関わらず、その成人検査を行っている社会がミュウを拒絶し抹殺してしまうというねじれ。
さらには洗脳まがいとも言える教育を行い、人間をランク付けしようとする管理社会システムそのものの是非。
ミュウたちは、自分たちが打倒するべきはそんな社会のシステムそのものであると考えるようになります。

昔のマンガってすげぇなと思ったりします。
文庫本3冊でまとめられてるこのボリュームで、教育の在り方や人間の生き方について深く切り込んでいくとは。
今時のマンガってキャラクターが凄く大事にされてて、一人一人のキャラクターを深く深く掘り下げようとする傾向がある気がしますが、昔のマンガはストーリー重視というか、余計なところを掘り下げないスピーディーさがあるなぁなんて感じました。

教育の在り方っていうのはよくよく考えていくとすごくきわどい問題で、つまるところは生まれたまだまっさらな人間を、どんな風に染め上げていくかという作業なわけです。
一般的な善悪や倫理の価値観というのは大概は教育による後付けの学習の結果なわけで、何が善で何が正しいのかという判断もこれは教育次第になります。
その教育の方針を、誰が、何のために、どのように定めるのか。
『地球へ…』の中では、破壊された地球環境の再生という大きな目的を意識して教育システムも構築されており、地球への愛、人類社会への忠誠という感情が物語の鍵になってきます。
果たして人類を生み出した地球と言う惑星に対して人間が持つ愛情は本能か、それとも教育の成果か。
人類への愛情と忠誠を教え込む教育システムからはみ出した異端者たちが抱く人類への敵意は如何ほどか。
SFならではの、現代の現実とは違う、しかし現代の現実と同じ地平にある問題を抱えた世界のダイナミックなうねりはなかなか読み応えがありました。

そしてこの物語を面白くしてるのが、複数の異なる立場の人間たちの視点の対比です。
最初は超能力を持った新人類ミュウとして覚醒し、ミュウたちの長に任命されたジョミーの率いるミュウたちの視点から描かれる物語かと思いきや、今度は人間社会の統治者候補として成長していく人間キース、さらにはミュウたちよりさらに強い超能力を持ったトォニィなどの登場によって、一つの立場が絶対視されることなく相対化されていく。
ミュウの視点だけから見ればミュウたちは被害者で正義の立場に見えてくるかもしれないけれど、ミュウの中でさらに異端な強い力を持ったトォニィたちの存在によってミュウたちもまた本質は人間と大差ない側面を見せるあたり、なかなか面白い。
物語を面白くするするのは、異なる立場の魂のぶつかりあいなんだなぁ。

そしてまぁ壮大な物語の面白さもさることながら、キャラクターの魅力ってのはやっぱり大きい。
幼少トォニィとかなんか妙にエロいし。
盲目前髪パッツンなフィシスは可愛いし。
シエロ×キースとかキース×マツカとかいろいろと俺のエンジンに火がつきそうな絡み合いも素敵。
というような脳みその湧いたベクトルは置いておくにしても、キャラクターが素晴らしい。
この物語の主人公ってもう途中からはキースに置き換わってますよね。
人間社会のエリートとしてそれを導く立場へと登りつめながら、しかしその社会のあり方に疑問を感じずにはいられない。
そんな矛盾したリアルな存在感と、エリートたる知性や実力のヒロイックさが上手い具合にマッチしててすげーカッコイイです。

人間の心情からくる必然による世界観設定、その世界観の中に住むがゆえの必然性によるキャラクターの感情、その感情から生まれる行動、その結果である物語の展開。
物語重視やキャラクター重視によるご都合展開に陥らずに綺麗に展開できたら、それはきっと傑作になるのかしらね。
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