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2008.09/22(Mon)

080922 鋼の後継の後継 

・オーフェン後日談で、クリーオウがティッシに弟子入りした理由についての考察。
(*色々ネタバレなどもあります。オーフェン読んでない人はそもそもこんなの読まないと思いますが一応。)

理由についての考察、というのは実際のところ必要ないんですけれども。
『我が聖域に開け扉(上)』の27Pにクリーオウの心中の描写があります。
最接近領という危険で切迫した状況でレキと離れ離れになり、自分の無力を痛感するクリーオウ。
しかし、アーバンラマでレキと融合したときの経験から、仮に自分が力を得たとしても自分にはそれを制御する訓練も心構えもないということを自覚していました。
魔術士が魔術士であることが、力を制御することにあると、長らくオーフェンやマジクとともに過ごしたクリーオウはちゃんと理解しているわけです。

はぐれ旅初期のクリーオウは、子供らしい無邪気さと無謀さを多分に持っている少女でした。
たとえ相手が自分よりはるかに強く危険な相手だとしても、その事実に気づかず、あるいは気づいてもあえて無視して物怖じせずに立ち向かっていく。
『獣』において海老男、『人形』で殺人人形に切りかかったときなどが顕著でしょうか。
言い換えれば、クリーオウは自分にできることとできないことをわきまえずに、やるべきだと思ったことを実行に移す行動力を持っていたわけです。
しかし、はぐれ旅終盤で自分の無力を悟り、そのことによってレキやオーフェンに大きな迷惑をかけてしまったという意識から、自分にできることとできないことを見定めようとするようになったのではないでしょうか。
それが、『あいつが(以下略』の5回で自覚していた、以前のクリーオウと今のクリーオウの違いです。

魔術士の力の制御というのは、もちろん魔術という力を出来る限り完全に操ることができるように、という意味でもあります。
しかし、オーフェンとマジクの姿を見ていると、むしろ完全に操れる範囲での出力しか使わないという自分への戒めの意識のほうが重要であるとも言える気がします。
全開で最大出力で魔術を放てばオーフェンより強い威力を出せるというマジクの意識は、魔術士としてはとても未熟なものです。
全開の魔術は常に暴走の危険をともない、一人前の魔術士はむしろその危険をしっかりと認識して使わないようにするという自分の行動の制御ができる存在であるというのが、オーフェンのスタンスです。
これは、自分にできることとできないことを冷静に判断する、ということと同じではないでしょうか。
制御できるかもしれないけど失敗するかもしれない、という不確実さではなく、確実に自分にできることをする、という判断。
それはある意味で、アザリーがキリランシェロ、ハーティア、コルゴンをしてチャイルドマン教室の3強と言わしめた目的達成の能力に近いものもあるかと。

ちなみに、クリーオウはたびたびオーフェンから俺にはできないことをやってのける、といったような評価を得ています。
それは、自分の身の丈や成功確率などといった要素をオーフェンが魔術士として考慮し躊躇してしまうような場面で、それを飛び越えて行動できるクリーオウが周りの予想を上回って成し遂げる、という図式だったと思います。
ただし、それを飛び越えるというのは前述したとおり、リスクを冷静に受け止めた上で覚悟を持ってではなく、子供らしい無謀さからである割合が多かったと思います。

さて、結論を言えば、クリーオウがレティシャに弟子入りしたのは、次のような理由になります。
「自分に足りないものを自覚し、魔術士としての強さ、即ち自分に出来ることと出来ないことを判断し、自分自身の感情や行動を制御して、目的達成のための最善を尽くす能力を学ぶため」。
これはまさしくオーフェンが持っていた強さですね。
マジクがオーフェンに師事し学んだことを、クリーオウもずっと側にいて肌で感じていたんじゃないかなと思います。
もっとも、マジクとクリーオウの二人から見ればオーフェンは十分過ぎるほどの力を持っているため、ある種なんでもできる凄い人みたいな錯覚もあったと思いますが。
あ、それってキリランシェロがチャイルドマンに対して持っていた錯覚と同じか。
この錯覚をしてしまうと、オーフェンの強さが「力」の強さにすり換わってしまい、闇雲に力を求める=背伸びをしてしまう、マジクのような状況になってしまうのかもしれません。
このことを考えると、オーフェンが終盤でチャイルドマンも自分と同じ一人の魔術士、ただの人間だったと気づくことはオーフェン自身の大きな成長だったんでしょうね。

ネット上の掲示板などを見ていると、クリーオウがティッシへの弟子入りを希望した姿を見て、「あれ、クリーオウって魔術士の素養なかったよね?なんで弟子入り希望してるの?」といった疑問がちらほら見受けられました。
それに対する私なりの意見が上の結論、「クリーオウが学びたかった魔術士の強さは魔術という力そのものではなくその精神性である」というものですが。
別に魔術士がみんながみんな、オーフェンたちみたいな鋼の自制心を持ってるわけでもないとは思うんですよね。
オーフェンという後に魔王とまで呼ばれるような男にくっついて旅をしてきたクリーオウが出会った魔術士たちが、たまたまそういう特別力も心も強いような連中だったという。
マジクやクリーオウにとっては「魔術士=オーフェン」だったわけで、クリーオウが学びたかったのは「オーフェンのような魔術士の心構え、強さ」なんだと思います。
それを学ぶにあたっては、オーフェンと同輩で大陸有数の魔術士であるティッシのもとはうってつけです。
魔術士に弟子入りするというと一般的に考えれば「魔術の制御」を学ぶためという理由が妥当なわけですから、魔術士ではないクリーオウがなんで?っていう疑問も出てきて不思議ではないのかも。


それにしても。
ティッシからクリーオウへの三つの条件のうち最後のがなんなのか、見当もつかないんですが。
クリーオウはもうすでに分かってるように思えてるし。
むぅ、無念。
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