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2008.09/24(Wed)

080923 太くて長いオレのスネ毛 

昨日の話になるけど、今週のソウルイーター、髪をほどいたマカ可愛かったなぁ。
いつも同じ髪型のキャラの髪型がたまに変わったりすると急にぐっと来ます。
休日とかお風呂とか就寝前とか。

そんなどうでもいい話をしつつ、太くて長いオレの○○2をやってます。
えんえん雑魚を倒してお金稼ぎ。
疲れる。
でもやめられない。
なんなんでしょうね、この退屈極まりないアイテム集めやらレベル上げやらの作業についついいそしんでしまう人間の心理って。
マゾ?
【編集】 |  14:03 |  日々  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2008.09/22(Mon)

080922 鋼の後継の後継 

・オーフェン後日談で、クリーオウがティッシに弟子入りした理由についての考察。
(*色々ネタバレなどもあります。オーフェン読んでない人はそもそもこんなの読まないと思いますが一応。)

理由についての考察、というのは実際のところ必要ないんですけれども。
『我が聖域に開け扉(上)』の27Pにクリーオウの心中の描写があります。
最接近領という危険で切迫した状況でレキと離れ離れになり、自分の無力を痛感するクリーオウ。
しかし、アーバンラマでレキと融合したときの経験から、仮に自分が力を得たとしても自分にはそれを制御する訓練も心構えもないということを自覚していました。
魔術士が魔術士であることが、力を制御することにあると、長らくオーフェンやマジクとともに過ごしたクリーオウはちゃんと理解しているわけです。

はぐれ旅初期のクリーオウは、子供らしい無邪気さと無謀さを多分に持っている少女でした。
たとえ相手が自分よりはるかに強く危険な相手だとしても、その事実に気づかず、あるいは気づいてもあえて無視して物怖じせずに立ち向かっていく。
『獣』において海老男、『人形』で殺人人形に切りかかったときなどが顕著でしょうか。
言い換えれば、クリーオウは自分にできることとできないことをわきまえずに、やるべきだと思ったことを実行に移す行動力を持っていたわけです。
しかし、はぐれ旅終盤で自分の無力を悟り、そのことによってレキやオーフェンに大きな迷惑をかけてしまったという意識から、自分にできることとできないことを見定めようとするようになったのではないでしょうか。
それが、『あいつが(以下略』の5回で自覚していた、以前のクリーオウと今のクリーオウの違いです。

魔術士の力の制御というのは、もちろん魔術という力を出来る限り完全に操ることができるように、という意味でもあります。
しかし、オーフェンとマジクの姿を見ていると、むしろ完全に操れる範囲での出力しか使わないという自分への戒めの意識のほうが重要であるとも言える気がします。
全開で最大出力で魔術を放てばオーフェンより強い威力を出せるというマジクの意識は、魔術士としてはとても未熟なものです。
全開の魔術は常に暴走の危険をともない、一人前の魔術士はむしろその危険をしっかりと認識して使わないようにするという自分の行動の制御ができる存在であるというのが、オーフェンのスタンスです。
これは、自分にできることとできないことを冷静に判断する、ということと同じではないでしょうか。
制御できるかもしれないけど失敗するかもしれない、という不確実さではなく、確実に自分にできることをする、という判断。
それはある意味で、アザリーがキリランシェロ、ハーティア、コルゴンをしてチャイルドマン教室の3強と言わしめた目的達成の能力に近いものもあるかと。

ちなみに、クリーオウはたびたびオーフェンから俺にはできないことをやってのける、といったような評価を得ています。
それは、自分の身の丈や成功確率などといった要素をオーフェンが魔術士として考慮し躊躇してしまうような場面で、それを飛び越えて行動できるクリーオウが周りの予想を上回って成し遂げる、という図式だったと思います。
ただし、それを飛び越えるというのは前述したとおり、リスクを冷静に受け止めた上で覚悟を持ってではなく、子供らしい無謀さからである割合が多かったと思います。

さて、結論を言えば、クリーオウがレティシャに弟子入りしたのは、次のような理由になります。
「自分に足りないものを自覚し、魔術士としての強さ、即ち自分に出来ることと出来ないことを判断し、自分自身の感情や行動を制御して、目的達成のための最善を尽くす能力を学ぶため」。
これはまさしくオーフェンが持っていた強さですね。
マジクがオーフェンに師事し学んだことを、クリーオウもずっと側にいて肌で感じていたんじゃないかなと思います。
もっとも、マジクとクリーオウの二人から見ればオーフェンは十分過ぎるほどの力を持っているため、ある種なんでもできる凄い人みたいな錯覚もあったと思いますが。
あ、それってキリランシェロがチャイルドマンに対して持っていた錯覚と同じか。
この錯覚をしてしまうと、オーフェンの強さが「力」の強さにすり換わってしまい、闇雲に力を求める=背伸びをしてしまう、マジクのような状況になってしまうのかもしれません。
このことを考えると、オーフェンが終盤でチャイルドマンも自分と同じ一人の魔術士、ただの人間だったと気づくことはオーフェン自身の大きな成長だったんでしょうね。

ネット上の掲示板などを見ていると、クリーオウがティッシへの弟子入りを希望した姿を見て、「あれ、クリーオウって魔術士の素養なかったよね?なんで弟子入り希望してるの?」といった疑問がちらほら見受けられました。
それに対する私なりの意見が上の結論、「クリーオウが学びたかった魔術士の強さは魔術という力そのものではなくその精神性である」というものですが。
別に魔術士がみんながみんな、オーフェンたちみたいな鋼の自制心を持ってるわけでもないとは思うんですよね。
オーフェンという後に魔王とまで呼ばれるような男にくっついて旅をしてきたクリーオウが出会った魔術士たちが、たまたまそういう特別力も心も強いような連中だったという。
マジクやクリーオウにとっては「魔術士=オーフェン」だったわけで、クリーオウが学びたかったのは「オーフェンのような魔術士の心構え、強さ」なんだと思います。
それを学ぶにあたっては、オーフェンと同輩で大陸有数の魔術士であるティッシのもとはうってつけです。
魔術士に弟子入りするというと一般的に考えれば「魔術の制御」を学ぶためという理由が妥当なわけですから、魔術士ではないクリーオウがなんで?っていう疑問も出てきて不思議ではないのかも。


それにしても。
ティッシからクリーオウへの三つの条件のうち最後のがなんなのか、見当もつかないんですが。
クリーオウはもうすでに分かってるように思えてるし。
むぅ、無念。
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2008.09/21(Sun)

080921 百年かけて願った握る小指 

ここ最近の自分の中の秋田熱の上昇で、シャンク!!の最終巻を読み返す。
いやー、やっぱり面白い。
よくまとまってるなぁと感心。
ブリアンは秋田作品屈指の萌えキャラですね。
つけひげベロも凄くいい味出してるし。

あと、秋田さんは読者に対してハッタリの効いた戦闘描写が上手いなーと思ったり。
オーフェンやエンハウではなんだかんだで地に足のついたレベルの戦闘が多かったイメージの後で、シンシアルータVS偽シンシアルータなんかでは珍しく桁外れの力の応酬が行われててワクワクします。
星のドレスとか悪獣の杖とか大陸を消し飛ばせる重力弾とか。
Fateの聖杯戦争でキャスターとしてシンシアルータを呼んだらどうなるだろうとか想像してみたりする僕はきっと月厨?
ううん秋田儲です。
でも、魔女の扱いは難しいしマスターがそのままぷっつり殺される可能性のほうが高そう。

ちなみに、挿絵は今読み返してもやっぱり残念な出来だが、モノクロ挿絵の一番最後のやつだけは割りと好き。
掲示板なんかでちらほら同じ意見を見かけたりする。
ゴダートの絵がなかったのは絵師、読者双方にとって幸福だったんじゃなかろうか。
がっしりした体格の男らしい男って苦手そうだし。


ところで、ブリアンの「百年かけた願い事」って、エンハウのミズーの「握る小指」と通じるところがあると思う。
オーフェン、エンハウ、シャンク、ついでにエスパーマンもか。
これらに共通のテーマとして、力は手段でありただそれだけで幸せになれるわけではなく、本当の幸せは別なところにあるってことが言えます。
けれども、俺がオーフェンに、ミズーに、シャンクに、憧れて止まないのはきっと、彼らの誰もが幸せをつかみ、守るに足るだけの力を持ち、また力を得るために努力してきた人たちだから。
力なんかあっても何にもならないよ、というわけではないんですよね。
力を必要とし欲して、それを得るカタルシス。
手にした力の大きさに振り回され、それを制御し乗り越えるカタルシス。
あれ、これって魔術士の在り方そのものか。
あいつが以下略でクリーオウが魔術士としての訓練を受けることを望んだのも、きっとこの辺に関係してるんでしょう。

……ていうか実際のところ開け扉(上)で、クリーオウは自分に持っている力を制御する訓練や覚悟が足りてないことを自覚してたんですね。
さっき読み返してて気づいた。
やっぱり細かいところまでは覚えてないものだなぁ、もう一度最初から読み返そうかしら。
でも今図書館のカードなくしちゃってて再発行もしてもらえないのよね。
しかし買うお金は……
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2008.09/20(Sat)

080920 人間台風一家~ヒューマノイド・タイフーン・ファミリー~ 

寝てる間に台風過ぎてました。
起きて窓開けたら気持ちのいい晴れっぷりで風が爽やか。
ていうか昨晩は明け方まで起きてたけどそれほど降った様子もなかったし、関東まで来なかった?
お天気関係のニュース見てないのでよくわかりません。

太くて長いオレの○○2
プレイ中のFlashゲーム。
アクションRPGみたいな感じですね。
凄い荒いドット絵なのになんか面白い、ファミコンゼルダやってるような感覚。
タイトルでてっきりエロFlashかと思ったのはナイショ。
【編集】 |  14:36 |  日々  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2008.09/19(Fri)

080919 オーフェンは永遠に俺のお師様 

 それは、既にファンの間ではそれなりに知られた事実となっている。
「秋田禎信が、自分のサイト上でオーフェンの続編を連載している。」
 オーフェンというのは、富士見ファンタジア文庫から発売されていたファンタジーもののライトノベルだ。魔法や魔術、ドラゴンや神に関する独自の世界観、設定と、何よりもファンタジーなのに主人公が革ジャンを着たモグリの借金取りであるというひねくれたキャラクター性で、一時期はかなりの人気を博していた。

 ドラも、この小説にハマりこんでいたうちの一人である。
 物語そのものは何年も前に既に完結しており、本当に時折気が向いたときに読み返す程度だった。
 それでも、この小説が、そして登場キャラクターたちの在りようが、ドラに与えた影響は大きい。中学二年生、思春期で多感、そして愚かで未熟なりに自立や成長を意識するような時期に出会って、以後数年間をこの小説の続刊の展開を追いながら過ごしたのだから、それも当然だろう。
 どういった影響かといえば、いわゆるオタクとしての作品への好みや、自身の手による創作――と呼ぶには抵抗のある稚拙な遊び――へのそれが主なところとして挙げられる。だがそれ以前に、はっきりどこがとは言えなくても、自分の性格や価値観といった人格形成にまで組み込まれた、欠かすことのできない一部とすら思えるのだ。もっとも、たかがラノベが人間性の礎の一部だなどと言えば、多数の人間からは鼻で笑われてしまいそうだな、などと多少自虐的に自覚してもいたが。

 ともあれ、物語が完結したときには、そうまで親しく、愛しく感じられた物語の結末を自分の目で見届けられたことをとても喜ばしく感じると同時に、切なさも胸中に広がっていた。
 言うなれば、卒業を機に、親しい友人ともう会えなくなるようなものだ。出会ったからには、必ず訪れる別れ。それは人と人の関係にだけではなく、人と物語の間にもやってくる。本棚に並べた本を手に取れば、何度でもまた物語を辿ることはできる。が、その続きはもう読めない。最後の巻の最後のページ、そのさらに向こうでキャラクターたちがどんな人生を歩んだか、それはこちらの想像の中でしか補えない。

 そこへ、今回の話だ。
 もう完結した、物語の続きが綴られることを、キャラクターたちのその後が公式に語られることを、おそらくはファンのほとんどは半ば諦めていたはずだ。
 ネット上の掲示板やブログによって情報は広まり、喜びと興奮は伝播する。話を聞きつけたかつてのファンたちが、こぞって著者のサイトにアクセスしていることだろう。ここ数日のアクセス数のログなどというものがもし見れるなら、是非とも見てみたいものである。

 本の外側で流れた数年の時を越えて、また活き活きと流れる文章の中に息づくキャラクターたち。
 今のところ、物語の完結した時点から数ヵ月の範囲内で、主要な登場人物たちのその後の姿が、短めの文章で書かれている。毎日日付が変わる頃に、少しずつ小分けにサイト上にアップロードされている。ここしばらくは、その時間帯には大勢のファンたちが、少しでも早く続きを読みたいとパソコンの前に張り付いているに違いない。
 ネット上の掲示板の専用スレッドでは、大勢が集まり思い出や今後の展開に関する議論をぶつけあっていつにない賑やかさを取り戻しているようだ。とりあえず彼らの共通の心配事としては、著者がある日突然飽きて途中で更新をやめてしまうかもしれない可能性だろう。そんな事態になれば、お預けをくらった犬以上に惨めな顔をパソコンのディスプレイに映らせるはめになるに違いない。

 久々に、本棚の隅のほうに並んでいた本を手に取り、パラパラとページをめくる。気に入っていた場面を見つけ、読みふける。そこには、やはり面白く魅力に溢れた世界が広がっていた。
 一番ハマっていたのは中学生から高校生のころだ。なにぶん金のない時期だったため、そのほとんどは図書館で借りて読み、実は手元に買ってあるのはシリーズ全体のうちのほんの数冊だったりする。
 あの頃の自分と、今の自分。気がつけば、あれだけ格好よく大人びて見え憧れていた主人公よりも自分のほうが年齢は高くなっていた。バイトもするようになり、今なら流石に全巻まとめてとはいかずとも、少しずつ集められそうではある。
 時間の流れ、年月の経過。それにともなって、変わったこと。換わらないこと。
 実際のところ、何も変わってなどいないような気もする。だが、確かにあの頃と同じではありえない。
――確かこれは、オーフェンが作中で考えていたことだ。
 時間がたつことでより深く理解し共感できるようになることも、ある。そんなことをしみじみと思い、後で昔よく通っていた近所の図書館へ行って久々に読み返してみようと、頭の中の予定表に書き込んだ。
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