2ntブログ

04月≪ 2024年05月 ≫06月

12345678910111213141516171819202122232425262728293031
--.--/--(--)

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【編集】 |  --:-- |  スポンサー広告  | Top↑
2013.04/20(Sat)

20130420 クレヨンしんちゃん宇宙のプリンセス 

テレビ放映されてた、劇場版の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶオラと宇宙のプリンセス』を見てました。

他に作業しながらぼんやり流し見してたせいか、あまりのめり込めなかったなぁ。
気がついたら画面ばっかり見てるというような勢いはなかった。
そんな中で気になったのが終盤でのごろ寝の王様としんのすけの問答。

「お前はどこの誰だ?」
「オラは地球人のはらしんのすけだゾ!」

ここでしんのすけが泣いてたのはぶっちゃけどうでもいいのだけど。
しんのすけにわざわざ問いかけて自分の名前を名乗らせる演出の意味が最初見た時よくわかりませんでした。
妹なんていらないってしんのすけの発言から始まった物語なので、
ここであえて確認を取るとしたらシンプルなのは
「オラはひまわりのお兄ちゃんのしんのすけだゾ!」
だったんじゃないかなと違和感を覚えたんですな。

で、録画して見てたので思わず巻き戻して前後の会話を何度か確認。
直前の会話と合わせて見れば、
「地球の安定とひまわりの奪還、どちらを取るのか」という選択と決断に関して、
責任は地球人の野原しんのすけが持つと宣言させたのかなーと。
最初のサインといい、物事の責任をはっきりさせることの重要性と危険性について
脚本家は何か思うところでもあったんだろうか。
メフィラス星人の「地球あげます」でもあるまいに、5歳児が主人公の作品でやるテーマじゃない気もします。
最後の「この埋め合わせはいつか」「いつかって?」なんかもその流れかな。
単に詐欺には気をつけろってことかもしれませんが。
割りと細かく探っていけばこの映画演出とかにこめた意味がいろいろありそうなんですが、
いかんせん何度も繰り返しみたいような娯楽としての面白さが薄味だったなぁ。

劇場クレしんは流れるような勢いのあるアクション要素を期待したいです。
ヘンダー城最上層の追いかけっことかジャングルの空中戦とかみたいなのが好き。
オトナ帝国の階段登りはあれはあれでアリなんだけどあの作品こっきりでお願いします。
そんな懐古厨の戯言でした。
【編集】 |  18:29 |  漫画とか小説とか感想とか  | TB(0)  | Top↑
2013.03/25(Mon)

20130325 へうげた人生を送りたい 

アニメ版『へうげもの』の再放送見てましたが、最終回面白かったなぁ。
原作知らないうえにアニメも最後のほうだけしか見れませんでしたが、毎週引きこまれてました。
侘び数寄を究め広めるために命を懸け、最期の瞬間まで生き様を貫く。
心動かされるものがあります。

最終回を見る数時間前にたまたま、録画しておいた「100分で名著 夜と霧」を見ていました。
古今東西の名著について専門家の解説を聞くという番組で、伊集院光がラジオで宣伝していたのでなんの気なしに見てみたのですが。
ナチスドイツのアウシュビッツ収容所に収容された過酷な経験をもとに書かれたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』の中で、フランクルは人が生きる意味を支える三つの重要な価値があると説いたそうです。
それは、「創造価値」「体験価値」「態度価値」。
創造価値とは、何かを作り出すこと。
芸術作品や科学技術を生み出すことはもちろん、仕事によって誰かの役に立ち、誰かの喜びを生み出すこと。
そこに人が生きる意味がある。
体験価値とは、それそのものが人間に深い感銘と幸福を与えるような体験のこと。
大自然の美しさに胸を打たれる経験や、愛を知り幸福に包まれた時間を過ごすこと。
そうした思い出が、辛い中でも生きていこうとする意志を支えてくれる。
このような内容が番組の中で解説されていました。
創造価値と体験価値については、私もとても共感できたのですが、いまいちぴんとこなかったのが、最後の態度価値について。
番組内で示された例として、収容所で病気にかかり死を目前にした若い女性が、過酷な環境と運命の中でそれを呪うことなく、こんな状況だからこそ自分が今まだ生きていることを本当に心の底からありがたく思える、というようなことを語った話が紹介されていましたが。
解説役の教授も「人間は死を目前にしてもその状況に対してある態度をとることができる、その態度が人生を最後まで意味あるものに変えることができる」というような、なんかふわっとした説明してて、こればっかりは具体的にどうこうとはなかなか言いづらいものなんだろうなーと、首を傾げながら聞いてました。
伊集院光は収容所の女性の例を聞いて、「悟りや覚悟のようなものだろうか」と言っていましたが。
もうあと数時間で自分が死んでしまうという状況で、残りの人生に意味と価値を見出す悟りや覚悟を表すような態度……
うーん。
それは一体どないなもんやねん。

と思っていたところでの、へうげもの最終回の利休宗匠の切腹シーンですよ。
己の死に様まで、人生を懸けて追い求めた美学の発露の場とする、その精神、その態度。
これか!
武士道や茶道という概念があるとおり、日本には古来から人生を通じて何かを追い求める精神性があり、それこそがまさに死そのものすらを人生に飾る華とする「態度」、生きる意味を生み出す力なのだろうか。
そんなことを思ったりしたのでした。

誰にでもできるということではないですけれどもね。
だからこそ尊く美しく憧れてしまうんだろうなぁ。

あとへうげものアニメ、OPのEbi sukuiがすごい好きです。
何の気なしに見始めてこの曲が鳴り始めた瞬間に一気に引きこまれた。
【編集】 |  23:13 |  漫画とか小説とか感想とか  | TB(0)  | Top↑
2013.03/01(Fri)

20130301 ボルケーノ 

午後ローでやってた災害映画「ボルケーノ」を視聴。
前にも見たことあったはずだけど内容はほとんど忘れてたのでまっさらに楽しめた。
うむ、なかなか面白い。
アメリカのロサンゼルスの街中で突如溶岩が湧き上がるというパニック映画。
缶コーヒーのCMで有名な宇宙人ジョーンズことトミー・リー・ジョーンズが主演。
住宅地方面へ道路をゆっくり流れていく溶岩をバスでバリケード作ってどうにか食い止めようとしたりとか、
科学的な設定とか考証は相当無茶なのでリアリティを多少なりとも求める人には向かない映画。
ただ、思わずおいおいと思ってしまうような無茶な作戦を現場で指揮とってぐいぐい進めて
危機敵状況に立ち向かおうとするジョーンズが渋くてかっこいい。
おしゃべりでちょっといい加減ぽく見えるけど結構有能な黒人部下とか、
キャラクターは立ってるやつが多いので広い心でご都合主義を受け入れて見れば意外と熱い。
「バカ、それ絶対危ないってはやく逃げろってそこにいちゃだめだってバカあーあーあーーーっ!」
って酒呑みながら見るといいかも。
地下鉄の場面は見た人だいたい印象に残る名(迷?)シーン。
何より、ジョーンズたちの足元へゆっくりアスファルトの上を這うように迫り流れてくる溶岩という、
その非日常の光景が見ててわくわくした。
ディザスターパニックは人間ドラマとかもそうだけど、そういう視覚的な不思議体験が好き。
まあ不思議過ぎて「さすがにそれはないやろー」ってけらけらツッコミながら見ることになるんだけども。
しかし海外の映画見るときって、キリスト教的な価値観や人種問題て
日本人にはピンときづらいシーンもちらほらあるなぁ。
先述の地下鉄での自己犠牲は、あれはやっぱりキリスト教徒だからこそって感じなんだろうな。
この手の映画では頻出する「見捨てるか、自分を犠牲にするか」の選択。
現実の災害現場でも実際にそれで生き残ったもののトラウマ作っちゃう人とかもいるらしい。
自分がその立場だったら、という仮定の問いかけに、心がざわつかされる。
【編集】 |  11:22 |  漫画とか小説とか感想とか  | TB(0)  | Top↑
2011.11/20(Sun)

メモ トーンについて 

完成原稿に華がないと感じる人はトーンワークを見直すといいかもしれません。濃度ばかりを気にして同じ線数ばかり使ってませんか? 近くは荒く、遠くは細かく。黄色系は荒く、赤系は細かく。ざらざらは荒く、ツヤツヤは細かく。「カラフルなモノクロ原稿」は存在します。

イラスト情報bot
【編集】 |  22:00 |  漫画とか小説とか感想とか  | TB(0)  | Top↑
2010.01/19(Tue)

100119 『メフィスト惨歌』藤子・F・不二雄 

収録作
メフィスト惨歌
倍速
マイホーム
侵略者
マイロボット
テレパ椎
ユメカゲロウ
裏町裏通り名画館
有名人販売会社
殺され屋

少し不思議=SFでおなじみの藤子先生の短編集。
この本に収録のお話はなんかネタ重視な感じで舌の上に残るピリリとした苦味みたいなのは少なめ。
他の人より速く動けるようになる時計を手に入れた冴えないサラリーマンの話「倍速」とか、人の考えが読み取れるようになる変な椎の実を拾ったイラストレーター志望の若者の話「テレパ椎」とか、「ドラえもん」的なマジックアイテムを話の鍵とした話は藤子・F先生のお得意とするところか。
しかしたとえば今の二つで言えば、速く動けるようになったり人の考えが読めたりとどちらも素晴らしいアイテムのようだが、「倍速」のほうは普通に時計を使ってハッピーエンドになっているのに対し、「テレパ椎」はなまじ人が口に出さない本音を垣間見てしまったがために世の中の見え方が切ない方向に変わってしまったというお話なのはおもしろいところ。
っていうかぶっちゃけ「倍速」は多分最後の下ネタギャグがやりたかっただけな気もするが。
この本の話はどれもネタだけに話が収まっていて、そのネタによって人間の感情とかを抉り出すような感じではないのが薄味に感じた要因か。
その中では「裏町裏通り名画館」が妙に気に入りました。
ある青年が裏日本の裏町の裏通りの映画館で変な映画を見てもやもやしたというお話。
ぶっちゃけて言えば「南極物語」と「スターウォーズ」のパロディで「北極物語」と「ヌターウォーズ」を見せられるのだが。
「南極物語」は南極観測隊に置き去りにされた犬たちが南極でたくましく一冬を生き抜く感動の物語。
「スターウォーズ」はジェダイのルーク・スカウォーカーがフォースの力で邪悪な帝国に立ち向かう話。
…だよね、多分。
実はどっちも見たことないのだが。
まぁおおまかなニュアンスは間違っておるまい。
では、「北極物語」と「ヌターウォーズ」はというと。
アザラシの子供が、人間に置き去りにされた犬の牙で仲間を何匹も殺されながらも一冬を生き抜く感動の物語。
そして、帝国軍に徴兵されてそこで友人も出来て帝国軍人として仕事に励んでいた若者が、テロリストに立ち向かって華と散る話。
つまり、オリジナルとは逆の立場から視点を変えてうがったものの見方をしたパロディ。
これはなかなかおもしろかった。
たまにテレビで動物ドキュメンタリーなんかやってるけど、ライオンの話をやってるときはインパラを追いかけるライオンに頑張れ捕まえろなんて応援するけど、インパラの話をやったときはがんばれライオンにつかまるななんて応援しちゃうわけで。
世の中やっぱりどこの誰の視点に立つかで見え方はがらりと変わってしまうもの。
だからこそ複数の立場をしっかり把握して、相対的にものごとを理解できるようにならなきゃいけないのだなぁ。
そして物語を作るときにもそれは同じ事で。
そういう意味でこの話はなかなかおもしろかったです。
【編集】 |  21:00 |  漫画とか小説とか感想とか  | TB(0)  | CM(2) | Top↑
PREV  | BLOGTOP |  NEXT